ユルゲン・クロップとディディエ・デシャン

UEFAネーションズリーグ関連で、リヴァプールユルゲン・クロップ監督のことを調べていたら、最近語ったという、彼のフットボール・フィロソフィーを見つけました。

クロップさんって、本当にすてきな指導者。でも、プレミアでは、Unitedをちょっとだけ強めに推してます。モウリーニョも好き、偏屈そうなところがw。

クロップのフットボール

これ↓が、クロップがフットボール哲学を語っている動画。0:33くらいから。

www.youtube.com

主観込みで、訳してみました。

これ、前も言ったと思うんだけど、もう一回言うよ。僕は、フットボールがすべきことは、人々を楽しませることだと思うんだ。なぜなら、フットボールにできることなんて、それだけだからさ。

 

フットボールは人の命を救えない。大地に何かを植えられるわけでもない。何かを生み出しもしない。僕らは、手術が得意なわけでもないだろ?僕たちはただ、フットボールが得意なだけなんだよ。

 

(僕たちにできることは、フットボールを通して人を楽しませることくらいなのに)もしもフットボールが人々を楽しませられないなら、僕らがフットボールをやる意味なんてないじゃないか。

 

それは、いつも可能なわけじゃないよ。ハードワークを伴うからね。でも、少なくとも、僕たちは努力しなくちゃいけないんだ。毎回じゃなくても、なるべく多く、そういう(人々を楽しませる)ゲームができるように。

正確にはこう言ってます。

I really think the most important thing for football and the most important job of football is entertaining the people because it’s only football. It's nothing else.

 

We don’t save lives, we don’t plant anything, create anything, we are not good in surgeries. Whatever we are, we are only good in football, so if we (don’t) entertain the people why would we play then?

ほんで、ペップさんのチームが、これを一番ちゃんとできていると思うそうです。これを聞いて、そうだ!そうだ!それなのに、モウリーニョときたら…とか、アンチフットボールがーとかそういうように思う人もいるんだろうし、クロップ自身もそういう意図で言ったのかもしれないけど、でも、私は、このフットボール観を聞いて、あ、この人のフットボールは、いつだって「誰かのため」なんだって思ったんです。

フットボールをプレーしたって、苦しむ人の命は救えない。でもその代わり、その人を楽しませることはできる。フットボールが苦しむ人にできることなんて、それだけなんだ。それだけなんだから、そうしなきゃいけないじゃないかって。

もしも、人々を楽しませることができないなら、「誰かのため」にならないなら、僕たちがフットボールをプレーする意味なんてないじゃないかって。

彼の頭の中では、「誰かのために何かをすること」「自分はいったい他人のために何ができるのか」っていうのがまず先にあるんだと思ったんです。自分ができることは、フットボールだけ。じゃぁ、その特技を使って、他人のために何ができるんだろうって。サッカーを愛する人たちに、自分のチームのサポーターに、何ができるんだろうって。

他人へのあたたかい思いやりと優しさにあふれた、とてもすばらしいフットボール・フィロソフィーだと思いました(私は)。

デシャンの場合

sport24.lefigaro.fr

On a le privilège de pouvoir donner du bonheur au gens.

W杯決勝進出決定後の会見にて。動画見つかったら引用します。「こんなに人々を幸せにできているなんて、自分たちは恵まれているね」だそうです。

クロップもデシャンも根底にある気持ちは、同じだと思うんです。他人を思いやるあたたかい気持ち。「フットボールを通して、誰かのためになりたい。誰かを笑顔にしたい」って。それをどうやって達成するかって部分で、違いは出ると思うんですけど。

でも、その方法がどうであれ、根底にそういうあたたかい気持ちがある監督というのは、どこのチームの監督でも、とても素敵だと私は思います。そして、そういう監督が率いるチームは、やっぱり応援したいなと思います、個人的には。